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Jリーグ「歴代最強助っ人」!ピクシーにパク・チソンetc…


1: 2019/04/30(火) 12:56:07.80 ID:CXzcP9mp9
サッカー

ヴェンゲルとの出会いが転機に


 平成の世も残りわずかとなり、まもなく令和元年を迎える。平成30年間のスポーツ史のなかでも、平成4(1993)年のJリーグ発足は、とりわけエポックメーキングな出来事だった。

 そのJリーグを彩ってきたのが、異国の地からはるばるやってきた数多くの外国人選手だ。彼らの存在がなければ、Jリーグ、ひいては日本サッカーの隆盛もなかっただろう。

 そこで、過去26年間に在籍した外国籍選手の中から、厳選26クラブの「歴代最強助っ人」を選出した。最終回となる後編は、「オリジナル10」の名古屋、東京V、そして横浜フリューゲルスなど9チームのたちだ。

■名古屋グランパス
ドラガン・ストイコビッチ(MF)
●国籍または代表:元ユーゴスラビア代表
●在籍:93~01年
●通算成績:J1/184試合・57得点(名古屋)

 最初の契約は半年だった。“ピクシー”ことストイコビッチにも、Jリーグを終の棲家にする気持ちはなかった。

 転機となったのは、アーセン・ヴェンゲルの監督就任である。95年に再契約を結んだピクシーは、のちに世界的名声を得るフランス人指揮官の下で全盛時の輝きを取り戻す。カードを受けてばかりの荒んだプレーは消え、圧倒的な技術でピッチの支配者となっていくのだ。

 95年は15得点を挙げて最優秀選手のトロフィーを手にし、ベストイレブンには通算で3回選ばれた。

 名古屋の外国人選手として最多のリーグ戦184試合に出場、57のゴールをファンの記憶に刻み、01年に引退。9年後、現役時代には果たせなかったリーグ制覇を監督として成し遂げる。


■東京ヴェルディ
ビスマルク(MF)
●国籍または代表:元ブラジル代表
●在籍:93~96年
●通算成績:J1/283試合・69得点(V川崎:137試合・36得点)

 90年のイタリア・ワールドカップに出場したブラジル代表MFとして、93年途中にヴェルディ川崎(当時)の一員となる。Jリーグ参戦のインパクトはさほど大きくなかったものの、のちのJリーガーの見本となるようなプレーヤーだった。

 基本技術がずば抜けて高く、イージーミスはほとんどない。ボールを押し出すようなインサイドキックを活用し、カズこと三浦知良や武田修宏らのFW陣に多くの決定機を提供した。ゴールセンスを併せ持ったMFでもあり、94年はリーグ戦で14ゴール、95年は11ゴールをマークしている。

 また、93年と94年のナビスコカップでは、2年連続で得点王とMVPに輝く。敬虔なクリスチャンとして知られ、勝利や得点後に眉間をつまみながら片膝をついて祈りを捧げた。

4/30(火) 12:03 サッカーダイジェスト
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190430-00010005-sdigestw-socc

2: 2019/04/30(火) 12:56:17.81 ID:CXzcP9mp9
■ジェフユナイテッド千葉
チェ・ヨンス(FW)
●国籍または代表:元韓国代表
●在籍:01~03年
●通算成績:J1/88試合・55得点(市原:73試合・54得点)
J2/33試合・20得点

 日本代表を苦しめてきた韓国代表のストライカーは、Jリーグでも得点力を爆発させた。

 01年から03年まで3年連続で15得点以上を叩き出し、通算54得点はチームの歴代外国人で最多である。

 高い打点から繰り出すヘッドと右足のシュートは、コースを見極めても止め切れない威力があり、日本人GKのレベル向上を促したとの声もある。

■湘南ベルマーレ
アシエル(MF)
●国籍または代表:ブラジル
●在籍:06~11年
●通算成績:J1/0試合・0得点(湘南)
J2/196試合・50得点(湘南:196試合・48得点)

 在籍6年は、助っ人としてはクラブ最長。09年には、反町康治監督の下で右ウイングに固定されると、獅子奮迅の働きでJ1昇格の歓喜を呼び込んだ。

 しかし10年は、両足脛骨の疲労骨折でピッチに立てず。魔法の左足と愛くるしい笑顔が印象的な“湘南の太陽”に、一度でいいからJ1でプレーしてほしかったと思うサポーターは少なくない。


■サガン鳥栖
キム・ミヌ(MF)
●国籍または代表:韓国代表
●在籍:10~16年
●通算成績:J1/161試合・20得点(鳥栖)
J2/52試合・11得点(鳥栖)

 韓国人と縁の深い鳥栖でも、キム・ミヌは特別な存在だろう。

 J2とJ1で7年に渡りプレーしたこのレフティは、底なしのスタミナとキレのあるドリブルを、「第二の故郷」と話す鳥栖で磨き上げ、韓国代表にまで上り詰めた。

 16年にキャプテンに指名されたのは、「日本人選手の倍やらなければいけない」という強い責任感が評価されたからだ。


■横浜フリューゲルス
サンパイオ(MF)
●国籍または代表:元ブラジル代表
●在籍:95~98年
●通算成績:J1/156試合・16得点(横浜F:116試合・13得点)
J2/41試合・5得点

 ピッチ外では愛嬌溢れる笑顔で人気者だったブラジル代表MFは、ボランチのモデルケースと言っていい選手である。山口素弘とのダブルボランチは、機能性も補完性も申し分がなかった。

 95年に時同じくして加入したMFジーニョ、FWエバイールとの「ブラジル人トリオ」は敵の脅威に。そのふたりが去った後もチームを牽引し、99年元旦の天皇杯決勝では、実質的に消滅したフリューゲルスに最後のタイトルをもたらした。
■京都サンガF.C.
パク・チソン(MF)
●国籍または代表:元韓国代表
●在籍:00~02年
●通算成績:J1/38試合・8得点(京都)
J2/38試合・3得点(京都)

 アジア・サッカー界の歴史に名を残したパク・チソンは、京都でプロデビューを飾った。

 入団2年目の01年に頭角を現わし、チームのJ1昇格に貢献。翌02年はボランチからウイングへポジションを移し、同い年で仲の良い松井大輔、得点源の黒部光昭と躍動感を溢れるユニットを形成した。

 02年の天皇杯優勝を置き土産に、03年途中にオランダの名門PSVへ移籍。その後のマンチェスター・Uでの活躍は周知の通りだ。

■大分トリニータ
エジミウソン(MF)
●国籍または代表:ブラジル
●在籍:03、05~06年、07~09年
●通算成績:J1/150試合・11得点(大分:127試合・11得点)
J2/26試合・1得点

 チームが危機に瀕するたびに舞い戻り、通算6シーズンに渡り在籍した。

 ハイライトは08年。同胞ホベルトとのコンビで中盤を引き締めて、ナビスコ杯優勝とクラブ史上最高のリーグ4位に貢献した。

■アビスパ福岡
ベンチーニョ(FW)
●国籍または代表:ブラジル
●在籍:03~04年
●通算成績:J1/68試合・48得点
J2/116試合・56得点(福岡:61試合・24得点)

 日本で4クラブを渡り歩いた後、03年に加入。すでにベテランと呼ばれる年齢だったが、J2で20ゴールと持ち前の得点能力を爆発させた。

 在籍期間こそ2シーズンと短かったものの、05年のJ1昇格への道筋を作ったひとりと言っていい。

引用元: http://bit.ly/2UQ8Rou

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